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柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会 山田和樹が次代につなぐ~ゆく河の流れは絶えずして~

2016年11月7日月曜日 @サントリーホール

柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会 山田和樹が次代につなぐ~ゆく河の流れは絶えずして~

指揮:山田和樹

管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団

合唱:東京混声合唱団・武蔵野音楽大学合唱団

尺八:関一郎

 

!!!!!学生席1000円!!!!!!

 

Twitterで東京混声合唱団の公式アカウントが「先着●●名限定で柴田南雄の~コンサートリハーサル見学可能」とツイートしてるのをみて、食いついたのがこの演奏会を知ったキッカケ。

だから、最初は東混のツイートをみたのがきっかけだったもんだからめちゃくちゃすごい合唱を期待していたのだが前日くらいになってちゃんとプログラム調べたら、どちらかっていうと管弦楽の演奏会でした(笑)

管弦楽の演奏会というのもあまり行ったことはなかったのでこれはこれで楽しみ~という感じで行けました。

 

学生席1000円だったんですけど、マエストロはこの日本の素晴らしい作曲家の作品について再考しようという機会にあたり、演奏会のタイトルにもあるように若者にも聴いてもらいたいという気持ちからのこの価格設定なのでしょうかね。(若者に聴いてもらいたいってところは、東混の事務局の人が言ってたから本当っぽい)

 

アークカラヤン広場に集合して、リハーサル見学に誘導される。サントリーホールの1階席の後ろ目ほぼど真ん中の席に座らせていただ(!)。これから何という曲のリハーサルが始まるかもわからないまま(話きいてなかっただけ?)座っていると、調弦など終えた管弦楽の正面にマエストロ登場、オルガン側の舞台後ろの座席には見たことある東混の面々が座っている。

何の曲かわからないまま、曲が始まる。調性があったり、なかったりが交錯して訳が分からない曲だなあとか、コントラバス叩いちゃっていいのとか、弦からあんなのでるのみたいなニュルニュルした音出したりとか、聞いたことある水ヲ下サイが聞こえてきたり、なんかドアからすごい合唱でてきたりとかで、あとはたまにマエストロが演奏者に簡単に指示出したり、客席で聴いてる合唱指揮(?)っぽいひとが「もっと喋れ」とか、「声をもっと遠くに」とかを手でサインしたりしてるのを見てたらあっという間に公開リハーサル終了。

 

一緒に来てた学生の友人たちと、和幸(!!!)でご飯をたべていたら開場時間に。

チケットの指定席、満員なのにもギリギリで買った学生券で割り当てられたのは、オルガンの前の舞台後ろ側の席(!!!!)管弦楽パート譜が後ろからのぞき見できる席!

マエストロのプレトークもリハーサル聴いた時点でなんもわかんなかった僕にはとてもありがたい内容だった。

 

プレトークの内容は以下のような感じ

・満席でおめでたい

・このコンサートは2年前くらいにマエストロが思いつきで提案したことからはじまった企画。マエストロ自身も赤字覚悟で演奏したいという熱意があった。あまり没後●年とかきづかずに提案していたらしいが調べたらすぐだったから急いで準備したみたいな

・ゆく河について、昭和を振り返る作品。27年ぶりの再演

サントリーホールが11/7しか取れなかったらしいが偶然にもゆく河の初演も11/7だったらしい。これもお導きか、、、

・テーマ1:この演奏会をとおして「私たちが日本人であること」を感じてほしい。

・テーマ2:時間と空間を超える

 

各曲についてもコメントしていたけどそれは各曲についての振り返りで。

 

<<曲目>>

「ディアフォニア(Diafonia)」

柴田南雄の1979年の作品。

選曲された理由はマエストロの誕生年と一緒だからなそうな(笑)

三部構成になっていて、

第一部はバイオリンのメロディが12音使ったメロディを使っていたらしく、豊かに聴こえるんだけどなんか不穏な感じ(小並感)

第二部は途中でマエストロの指揮が手で数字を数える感じになる。数字に応じて、あるパターンを演奏する楽器がふえていくみたいな感じ?偶然性、自主性に委ねた音楽のあり方であるらしい。(合唱でいえば天使のいる構図のPreludeのテュリテュリ!!みたいなやつかな?)

第三部はめっちゃロマンティックなメロディなんだけど最後の終わり方はなんか満たされない感じだった覚えがある。

全体的に、何分か数えてないけどこんくらいのボリュームで、しかも各場面なにをやってるのかわかる方が最後まで集中力保って聞けるから楽しいなという感じ。管弦楽の曲の「音色を楽しむ」みたいな楽しみ方は最近だんだんわかってきた気になっているからこういう長さので楽しめる幅を増やしたいなあ、と

 

 

追分節考」

民謡って言えば、その土地に根付いた歌い継がれる歌なわけである。けど、だいたいのそれは耳コピだったりするので、ある時に分岐したり演奏者によって変わっていったり、楽譜に起こすにも上手くいかないことの方が多い。同じ「●●節」でも節が違ってしまって当然。

「じゃあ、残ってる追分節を全部同時に演奏しちゃえばいいじゃん」

というのがこの曲の発想らしい。これも指揮者の即興に委ねられた音楽。今まで3000回ほど演奏されているらしいが同じ演奏は一回たりともない。

客席を合唱団の人が回って、マエストロは数字が書かれた「ウチワ」でホールに分散した合唱団にパターンを指示する。にある人は民謡を歌い、ある人はある一定の音を保つ。ホールにはクラスターのような音響が鳴る。

席がオルガン側だったので、シアターピースを客観的に見るという奇異な体験をした。めちゃくちゃ声のいい集団がホールを鳴らすとかいうのと違った意味で、ホール全体から音が鳴っているような面白い感覚でした。追分節考は今後聴く機会はあるかもしれないと思う(期待してる)のだが、このポジションは一生ないだろうなと思った。

 

交響曲<<ゆく河の流れは絶えずして>>」

 昭和の半世紀を振り返るというテーマで作られた実験作品。

前衛的な奏法を用いた楽章よ古典的ロマン派的な音楽が織り交ざる。普通の古典的な音楽かと思いきや「なにか違う」といわんばかりのただ美しいものにツッコミをいれる音色が入る。溜まったフラストレーションを人の声に託して、第2部からは合唱が入ってくるという構成はまさに第九と同じといえるでしょう。最終的には朗読まで入ってくる。そして音楽は混沌としていき、最後の楽章には第一楽章と同じ楽想を用いた曲で終わる。

舞台後ろの席だったので東混の団員が隣のブロックに入場してきて、第一部にちょっとだけでてくる朗読、合唱に備えている。。。東混が、、、近い、、、(ここで鼻血)

しかも山田マエストロは正面にいて、もはや私自身も演奏者なんじゃないかというような緊張感。

しかし、この即興性の音楽、偶然性の音楽、シアターピース的な要素のある音楽である以上舞台にいない人もなにか共有するものでしょう。。。普通の一階席にいた人たちも同じような緊張感だったのかなあ(笑)

結局、オーケストラの音色の変化、即興的なパーカッションのイレギュラーな行動とかを楽しんだり、向こう側の二階席にざあああああっと並んでいる東混×武蔵野音大合唱団の隊列も見ていて壮観。

(合唱団が最終的に落ちついた体系が「川」の字になってたのに気づいたのは僕だけ??(笑)

ところで、私自身、友人がくれた歌の録音をPC内でさまざまな再生速度のものを重ね合わせ、リズム不規則に、調性があったはずの音楽をめちゃくちゃにした音声をつくったことがあって、個人的に気に入ってる。この楽曲におけるシアターピース的な場面では、無限カノンであったり、合唱団員が散らばってそこらじゅうで歌っているというシーンがあったのだが、まさにそのサウンドが重ね合わせた音声をリアルで聴いているような感覚になり楽しかった。

ここまで言いたいだけ。

 

私の場合、今生きていて居場所もないわけではなく、親からの仕送りで経済的にも不自由はしない程度に細々生きていられる。生きてる中で理不尽とか不自由でめちゃくちゃフラストレーションがたまることはあんまりない。

だからかわからないけど目の前を通り過ぎていくことがらに何か疑問を感じたり、批判的なものの見方をしたりとかってしようと思わないとしない。基本的にしない。

でもそれってやっぱ強くなることとか新しい何かになることから目をそらしているのかもなあ、とか目をそらしてんのかなあとか考えちゃう。

自分が幸せでいられる現状はいいこととしてキープするとして、なんか目の前のものをホイホイ見過ごしていっちゃうのはもったいないなあ、と、この記事書きながら思った次第である。

 

すばらしい曲、すばらしい演奏でした。

 

 

どうやら、交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」の27年前の国内2回目の演奏の録音のCDが発売されているようです。以下、URLにて

http://amzn.to/2fx5Mcm